タイトルなし

今日から大学祭です。
作品も出さず、
何の協力もできなくて申し訳なさでいっぱいですが、
それでも後輩たちは
展示会も模擬店も
楽しくやれていることでしょう。
無事に3日間終えられるよう祈ってます。



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父は、自力でベッドから起き上がって
車椅子に乗ることができるようになりました。
でも、右腕はもう動かないと主治医の先生に言われました。
それでもなんとかなるんじゃないかと、
右手の曲げ伸ばしをしたり、
本人にも左手で右手を持って上下させたりさせているのだけれど…

来週、リハビリテーション専門の病院に転院する予定です。
そこで最低3ヶ月の機能回復訓練。
本人が一番辛いだろうけど、
なんとかみんなで励ましながら
次のステップへ進んでいきたい。



もうすぐ入院して一ヵ月。

あまりにも早い。

備忘録3

11月12日
電話で父の声を聞く。
この前よりはっきりしゃべれているようだ。
「リハビリやってるの?」
の問いに
「うん」。



11月13日
今までベッドを60度くらいにまでしか起こしていなかったが、
今日は座った姿勢をとってみる。



11月14日
看護士に補助してもらいながら
車椅子に乗ってみる。
でも調子は悪い。
しゃべってはくれるが理解できず。
ホワイトボードに書いてもらうも、
「休市1のなに」。
わからない。



11月15日
今後の話。
急性期の治療が一段落したら、
リハビリ専門の病院に移るとのこと。
面接を受けてかららしい。



11月17日
今日は車椅子に二回乗ったようだ。

修論提出締切まであと30日

昨晩、NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」をみる。
作業療法士が脳卒中患者の身体回復について話していた。
生きがい、やりがいを持たせることが
患者の機能回復に最も影響を与える。
「自分がなんとかしなきゃ」
と、
どんなきっかけでも思えるような環境に
父をおかせたい。
家の中にある段差なんかとってやるもんか。
段差を乗り越える、
砂利の敷き詰めてある庭を歩いてもらう、
バリアありまくりな実家で
動かない右手足にもどんどん刺激を与えて
回復してもらおう。

備忘録2

11月1日
家族の名前が言えた。
でもその他聞き取れないので、
ホワイトボードに何か書いてもらうことにする。
しかし文字は読めない。
父はもどかしそうだった。


11月2日
「どのくらい?」と聞かれたので、
何を意味してるかわからなかったが、
とりあえず入院してから今日までの日数を教えた。
右足は反応がある。
口から水分をとりはじめる。



11月3日
カレンダーを見せたが、数字を指でたどるだけで表情は厳しい。
病院名には反応するが、そこに自分がいることをわかっていない様子。
右足、膝を少しは自分で曲げられるようだ。
自分でどんどん動かすようにと、母が急かす。



11月4日
まだ、目を閉じている時間のほうが長い。
麻痺側の手足の関節が強ばらないように(予防拘縮)、
肘・膝・足首などのマッサージ。腕・足全体のストレッチを面会ごとにやってみる。



11月5日
右腕上腕三等筋に力が少し入るような気がする。
血圧を下げる点滴は徐々に減らしている。錠剤による血圧低減に次第に移行。
食事(ゼリー)をとりはじめる。
嚥下障害はない模様。



11月6日
事故の車を修理に出す。
再び乗れるようになればいいが。



11月7日
病室がIOUから一般病棟に移る。
窓が近くて、太陽が感じられてよかったね。
点滴物は変わらず。
でも反応はいいようだ。
柔らかめの食事を少しとりはじめる。



11月8日
今日は調子が悪い。
寝ている時間長い。
日付もわかる時計を病室に持ち込んだ。
感覚を取り戻してほしい。
看護師さんが点滴針等々の交換をしてくれる。
「次来るときまでには回復しててね」と言い残して、
仙台に戻る。

今朝の夢に

Kさんが出てきた。
沖縄のコンビニでアルバイトしてた。
「あっちに秘密基地があるんですよー」
と、連れていかれて
目が覚めた。



修論提出締切まで
あと31日。
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